『スペースインベーダー』の生みの親にググッと迫る!

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▲50人の定員はすぐに埋まったとのこと。観覧者の顔ぶれも、年配男性一色かと思いきや、親子連れや女性の友人どうしの姿も見受けられるなど、主催側の想定をことごとく覆す形となった。

 2016年3月2日から同5月30日まで開催中の企画展“GAME ON ~ゲームってなんでおもしろい?~”の特別イベントとなる、“ナイト「GAME ON」”。5月13日、5月20日、5月27日の3日間のみ実施される時間延長開催“「GAME ON」アフター5”(※17時~20時)終了後に、定員数限定で観覧できる無料トークイベントで、“第一夜”となる5月13日のテーマは『スペースインベーダー』。シューティングゲームの元祖として、いまもなお絶大な人気と知名度を誇る本作とともに、その作者である西角友宏氏の活動にスポットを当てたトークが展開した。

[出演者]

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西角友宏氏(写真・左)
国内ビデオゲーム黎明期の1970年代に、数々の作品を手掛けてきたゲームデザイナー。代表作に『スピードレース』(1974年)『スペースインベーダー』(1978年)など。現在はタイトーのアドバイザー。

おにたま氏(写真・中央)
ツェナワークス技術開発責任者であり、映像配信サイト“OBS(おにたま放送局) ”のキャスター。アーケードを中心としたゲーム史の研究、講演を精力的に行い、本イベントではモデレーターを担当。

高橋名人(写真・右))
1980年代に“ファミコン名人”として一世を風靡した、ゲームプレゼンター。現在はゲーム・アニメ情報バラエティ“電人☆ゲッチャ!”などで活躍中。本イベントでは、『スペースインベーダー』のブーム当時、いちゲーマーだった自身の思い出を交えつつ、要所で業界こぼれ話を披露した。

ゲーム開発者・西角氏の軌跡は、日本のビデオゲーム文化誕生の軌跡だった!

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▲西角氏がタイトー(パシフィック工業)社員時代に開発・ディレクションした作品リスト。当時のアーケードゲームコーナーで“最先端”を感じさせたタイトルのほどんどに西角氏が携わっていたことに、改めて驚かされる。

 冒頭30分で、『スペースインベーダー』がどんなビデオゲームであるかをおさらい風に紹介した後に、話題は“『スペースインベーダー』を作った西角さんのスゴイところ”に。東京電機大学を卒業し、1968年に、タイトーの開発部門である子会社・パシフィック工業に入社した西角氏は、当初は、ゲームを作る会社だとは知らなかったという。「先輩の紹介だったので、電機関係の仕事ができるならいいか、くらいの気持ち」(西角氏)で入社した会社が、氏のゲームデザイナーの原点となったのだ。

 当初は電機部品の組み立てから始め、やがてビデオゲーム以前のアーケードゲーム(俗称・エレメカ)の開発部に配属された西角氏は、研修が終わってすぐ、『スカイファイター』(1970年)を開発したという。「過去のゲームよりも凝った仕掛けを作ろうと思って始めました。私は小さい時からメカを作るのが好きだったので、筐体の内部構造設計を含めて、ひとりで開発しました」(西角氏)

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▲『スカイファイターII』の筐体内部構造図(簡略版)。下部には流れる空の背景(ドラムロール状)、奥側には敵機の模型が配置され、レンズを何度も反射させることで映像を合成表示していた。敵機は、スポットライトが当たったものだけ光って見えるように調整されている。

 その後、開発部から一時離れていた西角氏だが、1972年に世界初のアーケードビデオゲーム『PONG』(米・アタリ社)が登場し、日本にも輸入されるようになると、『PONG』の基板研究のため、ふたたび開発部に呼び戻される。当時、国内のゲーム会社は、ビデオゲームを独自開発するノウハウを持っていなかった。そこで、自分で本を買ってIC(集積回路)の勉強をしていた西角氏に、白羽の矢が立ったというわけだ。その後、1973年の『サッカー』を皮切りに、タイトーは、国内で開発・製造したゲーム基板を使用したアーケードゲームを、次々とリリースしていく。ハードの性能向上と並行して、「いまあるものを、どうしたらもっとおもしろくなるか?」という姿勢を通し続けた西角氏の開発遍歴が、そのまま国内初期ビデオゲームの進化の歴史になっていた……といっても言い過ぎではないだろう。

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▲『PONG』のゲーム基板。当時のビデオゲームは、プログラムではなく、基板上の電子回路の配置や組み合わせによって、各種ロジックが構成されていた。基板にCPU(中央演算処理装置)が搭載されるようになるまでは、基本的に、1枚のゲーム基板につき1種類のゲームしか遊べなかった。
▲『PONG』の基板を研究し、独自の内容を加えて完成した『サッカー』。基板は、電子部品の高い製造技術を持った、長野県諏訪市の電子機器製造会社に製造してもらったとのこと。
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▲人間やゴールネットなどの凝ったグラフィックが特徴的な『バスケットボール』(1974年)。当時のハードにはメモリ(記憶装置)がなかったため、ドットひとつひとつの表示も回路を組んで行ったという。本作は初めて海外に輸出された日本製ビデオゲームでもある。会場には、イベント当日限定で『バスケットボール』の貴重な完動筐体が持ち込まれ、西角氏と高橋名人が一戦交えるひと幕も。
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▲背景が高速スクロールする画期的なグラフィックと、ハンドルコントローラーの操作性のよさから大ヒットし、後にシリーズ化された『スピードレース』(1974年)。イベントで流されたプレイ動画は『スピードレースDX』(1975年)のもので、プレイヤーは西角氏本人という、貴重な映像。余談だが、『スピードレース』以降、タイトーのアーケードゲーム1プレイの料金が、50円から100円になったとのこと。営業の値上げ提案に反対し、「じきに50円に戻すだろう」と踏んでいた西角氏は、1プレイ50円設定用の“隠し回路”を用意しておいたそうだが、それが使われることはなかったという。「お金の判断の関しては営業のほうが正しかったですね」(西角氏)。
▲西部劇をモチーフにした、ふたり対戦用ゲーム『ウエスタンガン』(1975年)。グラフィックに濃淡がつき、より緻密な造形の描写が可能になった。ちなみに、『ガンファイト』(1975年/ミッドウェイ)というタイトルでリリースされた本作の海外ライセンス版は、世界で初めてCPUを使用したアーケードゲームとのこと。

 西角氏は、1977年ごろから、CPU搭載のゲーム基板の研究を、やはり自主的に始める。研究対象はもっぱら、外国製の高性能なコンピュータ。ROMに格納されたマシン語を、ノート片手に、ひとつひとつ逆アセンブルしていったという。意外なことに、1970年代後半から徐々にリリースされはじめた国内製マイコンとは接点がなく、当時は「その存在さえ知らなかった」(西角氏)という。こうした独自性の高い研究環境が、翌年リリースの『スペースインベーダー』の礎となったようだ。

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▲コンピュータ研究の末、西角氏がひとり開発したという、ゲーム開発環境。OSも独自開発するなど、現在のごく一般的なPCの構成とほぼ同じである点が、興味深い。西角氏によれば、ゲームを作るよりも、こうした環境を構築することのほうが楽しかったとのこと。「ゲームは、できたものがおもしろくないといけないですからね(笑)。こういう装置は、仕様が決まったら、あとは機能を増やしていけばいいので」(西角氏)。

いまだから明かせる!? 『スペースインベーダー』にまつわるエトセトラ

 『スペースインベーダー』を開発するきっかけは、「『ブロック崩し』(※アタリ社製の『ブレイクアウト』を、タイトーがライセンス生産・販売していたタイトル)がヒットしているから、それに負けないものを作れないか」と、営業から“挑発”されたことだったと、西角氏は語る。旧来のハード性能では実現できなかった、“大勢のキャラクターを出すこと”と、“敵(コンピュータ操作のキャラクター)と対戦すること”に挑戦しつつ、『ブロック崩し』の醍醐味である、“(ブロックを)全部消したときの爽快感”を盛り込むことを前提に、ゲームシステムを構築していったという。

 当初、戦う相手は、インベーダーではなく、戦車や船、飛行機といった兵器だった。しかし、大勢のキャラクターを移動させる際、ハード性能上、グラフィックを瞬時に書き換えることができず。どうしてもガクガクとした動きになってしまうため、「兵器では臨場感が出ない」と判断。もっとも臨場感が出たのが人間だったが、「人間を撃つのはマズい」という意見が上がったことから、“宇宙からやってくるモンスター”にしたのだという。当時タイトーには、「宇宙ものはヒットしない」というジンクス(『スペースドッキング』という作品のセールス的失敗)があり、ゲーム内容を知った営業から嫌味を言われたが、「途中までできているから、やめるわけにはいかない」(西角氏)と、そのまま押し通したのだという。そうしてリリースされた『スペースインベーダー』は、空前の大ヒット。それまでのゲームセンターのありかたを一変させたとともに、テレビゲームという娯楽が、より多くの人々にとって身近になったことは、以降の歴史が証明している

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▲レトロゲーム研究家のおにたま氏は、『スペースインベーダー』に関するマニアックな質問を、ここぞとばかり(?)に西角氏に直撃。“スコア表示が初期の4桁から5桁に変更されたのは営業の指示”、“2コイン1プレイ設定の特殊バージョンが存在”、“8面をクリアーすると2面に戻るのはバグではなく、不具合の回避策として正式にコードに書かれている仕様”など、数々の秘密が明かされた。
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▲『スペースインベーダー』以降は、メインプログラムを若手社員に任せつつ、いくつかのタイトルで、ゲームデザインやグラフィックを担当した西角氏。『ルナレスキュー』(1980年/左写真)や『スペースサイクロン』(1980年/右写真)は、『スペースインベーダー』と同じマザーボードを使用した作品で、CPU搭載基板のメリットを活かした好例となった。ヒットした『ルナレスキュー』のプレイ動画は満足げに見守っていた西角氏だが、1ロットで生産終了したという幻のゲーム『スペースサイクロン』の画面が映し出された時は「あー、これが出ますか……」とバツが悪そうだった。

前例がなくても突き進んでいく姿勢が、テレビゲームの歴史を作った

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 「当時はどのようなことを大事にしてゲームを作っていたか?」という質問に対して、「前に作ったゲーム、ほかの会社が出した似たゲームよりも、何かしらプラスがあるもの」を目標にしつつ、「説明書がなくても、簡単に誰でもシンプルに遊べるもの」を心掛けていました、と西角氏。いまはそういう時代じゃないですけどね……と謙遜したが、氏の、つねに前例がない領域に突き進んでいくパイオニア精神があったからこそ、今日のビデオゲーム業界があることは間違いない。また、昨今のゲームプレイ環境の多様化によって、西角氏のゲーム開発ポリシーが、決して“過去のおおらかな時代ならではの思想”とは言いきれなくなっているのも、確かだ。

 トークイベントの前に“GAME ON”の展示を観て、往時のゲームを懐かしく思いつつ、最新VRゲームを体験し、深い感銘を受けたという西角氏。穏やかな表情に潜む、氏の“ゲームの進化”を見据える眼光に、衰えはなかった。

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