2020年9月に行われた日本最大規模のゲームクリエイターのためのカンファレンスCEDEC 2020にて、バンダイナムコスタジオの指田稔氏による講演“オールドビデオゲームのキービジュアルを読み解く~歴史の中での役割とその価値の再発見~”が行われた。

 同講演では、ゲームの黎明期である1980年代から1990年代にかけて、ナムコでリリースされたタイトルの“顔”とも呼ぶべきキービジュアルの原画を、指田氏がいかに発掘して整理し、アーカイブ化したかが語られ、非常に興味深い内容となっていた。そこで今回、指田氏といっしょにアーカイブ化の取り組みを主導する鈴木貴晴氏にインタビューを実施。改めて、キービジュアル発掘の苦労話をお聞きするとともに、その歴史的意義などについて聞いた。

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指田 稔氏(さしだ みのる)

【写真左】
バンダイナムコスタジオ
リードアーティスト
第3スタジオ 第11プロダクションUIパート

1990年にナムコ(当時)に入社。デザイナーとして、『テクノドライブ』や『エースコンバット3 エレクトロスフィア』などを手掛ける。『ミスタードリラーシリーズ』や『機動戦士ガンダム一年戦争』のキーアートなどを担当。キッズカードゲーム 『百獣大戦アニマルカイザー』に関わっており、毎月同作のキービジュアルを作っていたとのこと。この2、3年はUIデザインリーダーとして、PCオンラインゲームに関わる。


鈴木貴晴氏(すずき たかはる)

【写真右】
バンダイナムコスタジオ
アートディレクター 第3スタジオ 第4プロダクション

1995年にナムコ(当時)に入社。パッケージデザインやロゴ、キービジュアルなどを制作する。これまで担当したタイトルは、『エースコンバット シリーズ』や『テイルズ オブ シリーズ』など多数。近作では、『エースコンバット7 スカイズ・アンノウン』のパッケージデザインや『ドリフトスピリッツ』のキービジュアルなどを手掛ける。

往年の名作のキービジュアルを保存するために

――CEDEC 2020での指田さんの講演が非常に興味深くて、本日は改めてインタビューという形でお話を伺えればと思います。講演でもお話しされていましたが、まずはキービジュアルのサルベージ、アーカイブ化を進めることになった経緯を教えてください。

指田ビデオゲーム黎明期のキービジュアルは、あくまでも“ゲームを制作するうえで生まれる中間成果物”といった位置づけで、さほど重視されていなかったこともあったようです。手描きで制作された原画は、撮影されてポジフィルム化された時点で、役割が終了したものだと考えられていたんです。そのため、販売促進のスタッフの中に、“チラシやポスターを作ったら、原画はもう使わないもの”という認識の方も多く、チラシ作りなどで使用した原画を借りっぱなしにするということもよくあったみたいです。

鈴木原画が社内のどこに保存してあるか、把握できていなかったんですね。

指田とくにアーケードゲームで、その傾向が顕著でした。2000年ころから原画の所在を意識するようになったのですが、その段階ですでに原画の保管はバラバラになっていて、「キービジュアルや資料などを一箇所に集約して、保存しておかないといけない」とは感じていました。

鈴木それは、ナムコという会社が引っ越しが多かったことも一因かと思います。本社は東京の蒲田にあったのですが、開発拠点のひとつが横浜の仲町台に移って、その後神奈川新町にも新たな拠点ができて……と、昔から引っ越しをくり返していたんです。移転のたびに保存場所を確保してという感じで、当時から倉庫などを点々と借りていたんですね。アパートの部屋を倉庫にしていることもありました。

指田蒲田時代にアパートの一室を借りていたのですが、そこが本当に長いこと倉庫として使われていて、1980年代の始めごろから原画や開発資料がそこに保存されていたようです。

 ただ、引っ越しが重なって倉庫が各地にできて、どこに何が保存されているのか、一切把握できなくなってしまっていたんです。「これは何とかしないとまずいな」と思いつつ、日々の業務などもあり、なかなか手を付けかねていたのですが、転機となったのは、バンダイナムコゲームス(当時)が分社化して、2015年に我々バンダイナムコスタジオが品川から門前仲町に引っ越すタイミングでした。会社の引っ越しでは当然多くのものを捨ててしまうことになるだろうことは目に見えていたので、「原画が処分される前に回収しなければ」と思ったんです。

鈴木それまでの引っ越しの過程で、散逸してしまった資料もけっこうあったんですね。ときにアパートの部屋ごと処分ということもあったようで……。

指田当時から、ナムコは川崎にも大きな倉庫を持っていたのですが、これも「いらないものは整理しなさい」という号令が出まして。それで、処分される前に倉庫に行ってみたら、創業当時からの画像や写真などの資料がたくさんあって、さすがに「これを捨てるのはまずいだろう」と。

 さらに、社内でその話をしていたら、80年代に販売部にいた人から「川崎の倉庫の何階かには、開かずのロッカーがあるぞ」と言われまして。

――CEDECの講演でもお話しされていましたね。

指田鍵が紛失しているという話だったので、有志のメンバーを集めてドリルやバールを持っていって、ロッカーを無理矢理こじ開けたんです(笑)。そうしたら、当時のポスターを作るために使用した原画がそのまま保存されていて、大量のポスターサンプルと原画が数十枚出てきたんですよ。

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CEDEC 2020の講演より(画像は配信番組をキャプチャーしたものです。

――なんとか、サルベージに成功したというわけですね。

鈴木一方で、家庭用ゲームソフトのキービジュアルの原画は、比較的まとめて保存されていました。僕は1995年にナムコに入社した際、家庭用ゲーム担当だったのですが、配属されたチームにマップケースが置いてあって、たくさんの原画がそこにしまわれていたんですね。他部署からも、「これ置き場所ないから、そこにしまっておいてよ」みたいな感じで預かることも多かったんです。

 それが歴代の担当に受け継がれていたんです。そのマップケースは、引っ越しのたびに、業者さんに「重いもので申し訳ないんですけど、貴重なのでぜひ厳重な扱いを」とお願いして運んでもらっていました。いまのオフィスにも、フロアの中央にそのマップケースがどんと置いてあります。

――家庭用ゲームソフトの原画などは、ある程度鈴木さんのところに集約されていたのですね。

指田引っ越しの段階で、鈴木のほうで原画をまとめて保存しているという話を聞いたので、「これはまとめて管理しよう」と決意したんです。いまはアーケ―ドや家庭用ゲーム機、古いエレメカなども含めて、かなりの資料が一箇所に集約された状態になっています。

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代々鈴木氏の部署で受け継がれてきたちいうマップケース。他部署からの持ち込みもあり、ケースはパンパンに。

――何はともあれ、引っ越しがひとつの転機になったということですよね……。

指田引っ越しのタイミングで、「原画などがあったらこちらで回収します」という全社メールをしたのですが、なかなか反応が薄くて。もしや……と思って引っ越し間際にゴミ置き場にいったら、原画が置かれていたなんてこともありました。

――先ほどおっしゃっていた通り、価値観は人それぞれで、重要なものだという認識がなかったのかもしれないですね。

指田それでも、一部のベテランの方が、「ロゴの原画などを持っている」という連絡をくれました。これも意図して隠し持っていたわけではなくて、けっきょく原画をどこに置いておくべきかが周知されていなかったので、しかたないから自分で持っていよう、みたいな感じで、ずっと保管されていたりしたようです。この『ディグダグ』のポスターのラフなんかも、最近になって出てきたものです。

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『ディグダグ』のラフ画。
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よく見ると、手描きのあとも残る。

――こんなに大きいものがですか!

指田どこにあったんだろう……と思いました(笑)。あとは、処分されてしまったものの話になってしまうのですが、広報の物置にずっと置かれていたパックマンのモンスターの粘土原型があったんですよ。

――粘土原型ですか。

指田90年代の終わりくらいに、パックマンの身体の比率を既定するマスターの模型が作られたんです。このマスターモデルは世界に10個しかなくて、全部にナムコの創業者である中村雅哉さんのサインが入っています。そのマスターモデルの粘土原型があったんですよ。

――ものすごく貴重なものですね。

指田パックマンのほうは後からプラスチックに置き換えられていたのですが、モンスターは粘土の状態で置かれていたんですね。それが、「臭いから捨ててしまいました」って(笑)。「マジか!」となってしまいました。でも、知らない人から見たら、ただの粘土模型ですからね。写真撮影ができていれば……と悔やみましたね。

――背景を知らないと価値があるかどうかわかりませんからね。

鈴木苦労話で言えば、指田が遊撃隊みたいにつぎつぎと原画を見つけてくるので、大本営の僕は、もうマップケースに入らなくて困ったこともありました。新しく発見されたものを収納するための整理整頓もたいへんでした。

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パックマンマスターモデル。

大切になる“価値を規定する”という作業

――おふたりは最初から協力して原画などの資料の保存を進められていたのですか?

鈴木いえ、お互い別の部署で意識を持っていたのですが、なかなか合流点を見つけられずにいました。2007年に品川に人を集めたタイミングで、指田が自分のところに集約した資料を持ってきたのですが、何が集められているかわからないのはマズいだろう……という意識だけは持ち続け、10年以上が経過し(笑)、ここ数年で、いよいよ集約した資料のリストを作ることにしたんです。

 2017年ごろから、現在はバンダイナムコ研究所所属の兵頭が、企画資料などはかなりの量を整理してアーカイブ化したのですが、どちらかと言うと企画資料寄りで、ビジュアル関連の資料は手つかずでした。

――アーカイブ化に取り組んだのですね。ゲーム開発の仕事があったうえで、並行して資料収集やリスト作成を行っていたのですか?

鈴木そうですね。

指田こればかりやっていたら、さすがにお給料はもらえないと思います(笑)。

――CEDECの講演では、半分趣味のようなものからスタートして、次第に仕事として認められるようになった、というお話もありました。

鈴木お互い“仕事”として認められるように会社に働きかけていたのですが、最初はなかなか認められませんでした。でも、5年前くらいに組織の形態が変わって、職能ごとの組織になったことがあったんです。そのときにデザイナーの大集団ができて、ふたりで「これはチャンスだぞ!」と。絵が分かる組織で、うまいことリスト作りを仕事として認めてもらって、予算付けもできたので、大手を振るってリスト化を進めることができました。

――千載一遇の好機といったところですね(笑)。

指田同じ社内でも、部署が違えば価値観も違うので、それまでは原画を保存することの意義を伝えるのが難しい部分もありました。それが職能組織となって、上から下まで原画の絵としての価値が理解できる人たちが集まったので、原画の管理や保存を推進するにあたっては好機だったと思います。

鈴木世の中的にも、庵野秀明さんがアニメ特撮アーカイブ機構を立ち上げるなど、アーカイブス化の波に乗れたのもよかったです。

――逆に言えば、そこまでの好条件が揃わないとリストの作成までは進められなかったということかもしれないですね。

指田美術品や骨董品と同じで、価値観が違う人にも価値を伝えるためには、ある程度価値を規定してあげないといけないということはあります。知らない人が見たら「うまい絵だね」で終わりなのですが、それに対して「こういうゲームがあって、この時代にあったからこそ、こういう絵になったんです」といったストーリーや絵の技法など、ものの見かたの角度を広めていくことで、価値を認知してもらえるんです。

鈴木デザイナー集団の中だと、そういう説明がしやすかったんですよ。これがデザイナー職以外だと、ロジカルに「でも、もう使ったあとでしょう?」と言われてしまうんです。

――それはそれで、ひとつの考えかたではありますからね。

指田ですので、いまのオフィスでは、原画を額に入れて、僕がキュレーションを行った原画の紹介コメントを添えて展示するようにして、みんなが原画の魅力に触れられるようにしています。展示する原画は2ヵ月に1回のペースで差し替えています。

――おふたりが行っているのは、原画に対する価値の付与であると言えるかもしれませんね。

指田そう言えると思います。

――企画書や原画など、積み重なった資料の整理というのは、歴史のある会社ならではの悩みかもしれないですね。

指田増えていく一方ですからね。最近はデジタルデータになって質量的な問題はなくなってきましたが、逆にものとして顕在化しないので、どこにあるかを把握するのは、より難しくなっている部分もあります。

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ギャプラスキャプション
価値の規定の活動の一環として、オフィスには随所にキービジュアルが飾られている。取材時には、指田氏による丁寧なコメントつきで、『ギャプラス』(1984年)のキービジュアルも展示されていた。

6割以上はサルベージできた。ゆくゆくは原画展も……

――ちなみに、現時点でどの程度の原画が集まっているのでしょうか?

鈴木ロゴで212点、キービジュアルで429点あります。ひと目でタイトルがわかる代表的なものもあれば、パッと見では何に使われたかわからないものや実際には使われていないものもあります。

――だいたいの肌感覚で構わないのですが、全体の何割程度がサルベージできたと思われますか?

指田6割以上は保存できているのではないかなと思います。ナムコのフリーマガジン『NG』に付いていたすごろくの原画など細かいものもあるので、429点あるすべてが、いわゆるキービジュアルというわけでもありませんが。

――ここまでサルベージを進められて、当時原画を作成された方から反響はありましたか?

指田当時の作品に関わっていた方は定年を迎えられている方も多いのですが、原画についてわからないことがあると、私はFacebookに書き込んだりするんです。鍵付きなので誰でも見られるわけではないのですが、けっこうナムコOBの方とつながっているので、そこでわからないことを教えてもらったりします。

――いまの時代ならではのやりかたですね(笑)。

指田そこで、『Mr.ドットマン』の小野浩さんや、『源平討魔伝』の楽曲を作曲した中潟憲雄さん、『ワンダーモモ』でイラストを描かれたときた洸一先生など、あのあたりの方々に聞くと、当時のことはだいたいわかるので、困ったらとりあえずFacebookに書いています(笑)。

――原画のサルベージ、データベース化を行って、おふたりのプロジェクトはひとまず区切りを迎えたのでしょうか?

鈴木そうですね。しかも、先ほど職能組織になったおかげで予算が組めたという話をしましたが、その後また組織が変わってしまって、じつは予算も打ち切られているんですよ。

――そうなんですか!

指田僕らもひと段落した感はあるので、「いやいや続けなければ」みたいなものではなかったのですが(笑)。とはいえ、原画の価値を訴求する活動は引き続き行っていきたいと考えています。その第1弾として、11月からYouTubeで原画を紹介する動画を、12回連続で公開します。

鈴木これまでの取り組みが布石になっていて、そういった活動が正式にできている、というのはありますね。

――おふたりによる価値観の付与が認められて、賛同者も増えてきたということでしょうか。

指田CEDECの講演をやってよかったと思うのは、そういった提案が通りやすくなったことです。これらのキービジュアルや原作ゲームの著作権を持つバンダイナムコエンターテインメントでは、アソビストアというコマースサイトで、往年の原画をもとにしたVR美術館や商品などが企画されています。そういう意味でも原画を活用するためのベース作りが活きてきたというという実感はあります。

――YouTubeで配信する動画は、やはり原画のよさを一般の人にも知らしめたい、という思いに突き動かされて立ち上げられたものでしょうか?

指田はい。やはり価値を高めていかないといけないので、先ほどお話ししたようなさまざまな角度からの見かたや、時代に照らし合わせた部分の紹介、あるいはイラストを寄りで撮って、印刷では見られないようなところを見せたり……といったことをしていければと思います。それによって、原画の価値が皆さんの中で規定されていくとうれしいです。

鈴木本当は原画展を開いて実物を見ていただきたかったのですが、新型コロナウイルスの影響で、そうもいかないご時世になってしまいましたので……。

――ゆくゆくは原画展を開きたい、という思いはありますか?

鈴木それは、野望ではありますね。バンダイナムコエンターテインメントとも相談は続けています。

――CEDECでの講演の後、編集部では「画集が発売されたら絶対に買う!」という声も上がっていたのですが、こちらの予定はありますか?

鈴木画集は、僕も95年に入社した瞬間に、同じことを上司に言ったんですよ。そのときは「ほかにやることがあるだろう」って怒られました(笑)。

指田画集もいいのですが、散発的にやっても仕方がないのかなと考えています。当時のタイトルを知っている40代から50代の方は、原画を見せるだけで「ほしい!」と言ってくれるのですが、それだけだと打ち上げ花火になってしまうので……。YouTubeの企画で広めていったりして、露出を増やしていきたいと思っています。

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アーカイブには立体物も。指田氏の「レアだから」との言葉に惹かれ撮影させていただきました。こちらは、ナムコ映像プロジェクト制作による実写映画『未来忍者』で使用されたという撮影用マスク。『未来忍者』は、雨宮慶太監督のもと、寺田克也氏や竹谷隆之氏などがスタッフとして参加し、カルト的な人気を博した映画。

キービジュアルはゲームが描ききれない部分まで世界を広げてくれた

――露出と言えば、CEDECの講演はまさに多くの方に見られるいい機会だったかと思いますが、反響はいかがでしたか?

指田先日聴講してくださった方からのアンケートが届いたのですが、20代の専門学校生から「ぜんぜん知らないゲームでしたけど、めちゃめちゃおもしろかったです」という感想が届いて、すごくうれしかったです。ひとりでもそういう人がいるのならば、やった甲斐があったなと思いました。

鈴木うれしいですね。ちょっと泣きそう(笑)。

指田あとは、専門学校の先生から、若い人向けに講演をしてほしいという依頼もいただきました。これからゲーム開発をする人に向けて、こういうふうに見れば昔のものも絶対に参考になる、というような見かたなども含めると、キービジュアルは教材としても絶対に活用できると思うんです。とくに、アートディレクターを目指す人にとっては、当時の原画以上の教材はないのではないかなあと。

――たしかに、キービジュアルの意図を読み解く経験は、アートディレクターにはとくに貴重そうですね。

指田作品性と、商品として売らないといけないという命題を、キービジュアルがどう実現しているのか、みたいなことを考えながら見ると、すごくおもしろいですからね。

鈴木昔のタイトルのほうが、それが顕著にわかる瞬間があるんですよ。いまは映画と同じくらいのレベルで表現力がありますが、昔はゲーム自体の表現力が低かったので、ドットの世界を広げるためのキービジュアルという側面もあったんです。すると、そこにもディレクションが存在するんですよ。

指田画面に出るのはピコピコのドットだけど、脳内ではこういう世界で遊んでいるんだ、というのをキービジュアルで表現しているんですよね。それを思い浮かべながらゲームを遊ぶと、なるほど、と思えるところもあって。ドット絵時代のゲームについては、そういう役割がすごく多かったと思います。

――確かに、昔のキービジュアルはゲームが描き切れない部分にまで世界を広げてくれている印象がありました。

指田ゲームの表現力が上がるにつれて、キービジュアルとゲーム画面との差が埋まってきて、いまではゲーム画面をそのままレンダリングしてキービジュアルにすることもあります。そう考えると、昔とはキービジュアルの表現や考え自体が大きく変わっているんですよね。

――言ってみれば、昔のキービジュアルは世界観を規定するという意味では、いまよりも責任重大だったと言えそうですね。

指田とくに『ギャラクシアン』など、80年代の黎明期と呼ばれる時代は、そもそもビデオゲームに世界観という考えかたがまだなかった時代だったのではないかと思います。CEDECでもお話ししましたが、それもあって『ギャラクシアン』のキービジュアルだけ見るとゲームの中身とぜんぜん似て ないですからね(笑)。

鈴木そうなんですよね。キービジュアルは売る側の解釈で描かれているものもあったりするので、「あれ、ゲームとリンクしていないのでは?」みたいなこともあって(笑)。いまだと問題になりかねませんが、当時はユーザーのイメージを膨らませる手法として、ゲームを開発してからキービジュアルが作られていたということも多々あったんですね。

指田膨らませるにしても、なぜその方向に……というのはけっこうありますけどね(笑)。ただ、そうなった理由を読み解くのはとてもおもしろいです。たとえば、『ギャラクシアン』は、当時プログレのレコードジャケットなどを手掛けた、ロジャー・ディーンという有名なイラストレーターがいて、その人の影響がめちゃくちゃ強いと思われます。

――CEDECでもそうおっしゃっていましたね。

指田音楽も、ビジュアルがないところからイメージを膨らませてジャケットイラストとして定着させるので、『ギャラクシアン』も16×16ドットくらいのグラフィックからデザイナーがイメージを膨らませて、イメージを付与していったのだと思います。そこに絵とゲーム画面に 整合性があるかないかという話ではないんですよね。

 ちなみにこのイラストですが、いままでは、当時社内に在籍していた中村さんというデザイナーによって描かれていたと伝えられていたのですが、最近、ドットマン小野さんにヒアリングしたところ、外部のイラストレーターによるものではないかという、新たな証言も得られました。

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ナムコのビデオゲームのキービジュアル第1弾と指田氏が位置づけている『ギャラクシアン』(1979年)。CEDECの講演でも紹介されていたが、パイロットのようなものが描かれるなど、ゲーム内容との整合性はない。

今後の課題はデジタル作画のキービジュアルの保存

――キービジュアル保存の今後の課題を伺いたいのですが、講演でもおっしゃっていた通り、やはり90年代後半から2000年代のデジタル作画のキービジュアルが難関なのですか?

指田そうですね。データの回収自体が難しいということに加えて、仮に集めたとしてそのデータをどう管理するのか、というのも課題なんです。これは原画にも言えますが、何十年かして僕らがいなくなったら、誰がこのデータベースを引き継ぐのか、という問題もあります。

――継続的に管理できてこそのデータベースではありますからね。

指田先ほど話に出た兵頭が集めた仕様書の資料もそうなのですが、10年くらい経つと担当者もいなくなるし、忘れられてしまうんですね。それでやり直すことになるのですが、デジタルだとそれが加速しそうな気がします。サーバーの構造が変わって、保存したデータを一部の人しか見られない……みたいなことになる可能性もあると思うんです。

――データは場所を取らないぶん、管理しやすいのかと思いましたが……。

指田そういうわけでもないですね。データが個人のPCに眠っているかもしれないので、まずサルベージは必要ですし、当時のプロジェクトをまとめました、と言ってDAT(デジタル・オーディオ・テープ)が出てきたり、MO(光磁気ディスク)が出てきたりすることもあるので、データの復元がそもそも難しいんです。それと、いま見ると、当時のキービジュアルの解像度が異常に低かったりするんですよ。

鈴木昔は1回ポジフィルムにしてから印刷に回したりしていたんですよね。当時のPCだと、性能的に高解像度のレンダリングには恐ろしく時間がかかったので、そこそこの解像度のものをポジにして引き伸ばす、というのが一般的だったんです。ですので、昔のデータを見るとちょっとガッカリしてしまうんです。

指田保存方法の一例にはなるのですが、いま社内で“バナカイブ”というテストページを作っていて、たとえば『NG』なんかを、僕のほうで全部高解像度スキャンをして、全社員が見られるようにしています。

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知る人ぞ知るの往年のナムコのフリーマガジン『NG』。

――それはすごいですね。“バナカイブ”を一般公開する予定などはあるのですか?

指田一般公開はちょっと難しいと思います。昔の雑誌って広告も入っているし、読者コーナーに住所が書いてあったりして、それを全部消すとなるとものすごくたいへんなんです。一度、電子書籍化できないかと思って企画は作ったのですが、やはりそこの修正コストが高くなりすぎてしまったんです。

――以前、『ナムコミュージアム』で一部が収録されたりしていましたよね。

鈴木あれは、多分編集してネックとなる部分をクリアーしたものですね。

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こちらが“バナカイブ”。ゲームファンなら見てみたくなること請け合い。

――これが一般公開されないのは残念ですが、社内の人は見たら喜びそうな内容ですね。

指田社内でも要望が多かったんです。とくに古参の方は『NG』を見たいという人が多かったですね。『NG』のほかにも、ゲームのチラシをアーカイブ化しています。うちの会社は、新人がゲームイベントなどに行ってチラシを集めてくるという仕事があるんです。他社さんの分も含めてチラシをもらってきて、それをファイリングしていたのですが、それも置く場所がないからということで捨てるという話になったので、全部スキャンしてきたんです。

――かなりの量になったのではないですか?

指田そうなんです。1960年代からのチラシがあって、当時の商談資料や海外製品のものも含めて、ファイリングされていたものは全部スキャンしてあります。チラシに関しては、スキャンが終わったものはけっこう破棄していますね。残念ですが。

――チラシのアーカイブにも反響はありそうですね。

指田アミューズメントの部署の人間なんかは、こういった昔のゲームなどからヒントを得て企画を作ることがけっこう多いので、これはいまでも役に立っているみたいです。いまの“バナカイブ”では『NG』とチラシを載せていますが、そのうちゲームの開発資料なども集まってくれば、本当にアーカイブとして役立つと思うので、ここも充実させていこうと思っています。

――そこまで徹底してアーカイブ化を進めている指田さんをもってしても、デジタル作画のキービジュアル回収は困難ですか。

指田デジタルの場合、あの場所にあるから自分で行って取ってこよう、では済まないんですよ。けっきょく、誰かにお願いして手間をかけてもらわないと集められないので、ハードルが高いんです。担当者や関係者に連絡してデータを探してもらうところから始まるので、それをひとつひとつやっていたら、とてもじゃないけどたいへんですよね。

――確かに、そういう意味では物理的に存在する原画のほうが探しやすい気はしますね。

鈴木そのためには、これまでリリースしたすべてのタイトルを年代順にリスト化する作業をしないといけないですね。

指田バンダイと経営統合したこともあり、ナムコ、バンダイビデオゲーム事業部、バンプレストの過去のタイトルからいまに至るまでの全タイトルリストはないと言っていいと思います。

――有志がまとめてくれている可能性はありそうですね。でも、会社からしたらいまそこの整理にお金をかけて何を生み出すのか、という話になりますよね。

指田そうなんですよね。昔はそういったリストもあって、ナムコのアーケードゲームは全部、ビデオゲームの“Vナンバー”というもので管理されていたんです。『ジービー』というのがV0で、これがうちの開発コード0番、第1号のタイトルですね。その後『ナバロン』が開発されますが、これはリリースされず、外部で制作された『海底宝探し』があって、『ギャラクシアン』がV2となります。こういった資料が80年代末ぐらいまではあります。

鈴木ここから後のリストを作ろうとしたら、いよいよ社史編纂室に籠もるしかないですね(笑)。

――おまけにおふたりとも、本業であるゲーム開発もあるわけですからね。こういった作業は、昔のナムコ時代から相当好きな人でないと、興味を持てないし、価値も見出せないですよね。

指田そろそろ2000年生まれのスタッフが入社してくるような時代になるので、その人たちからしたらもう、戦前の話みたいな感じですよね(笑)。

鈴木たまに、「なぜその若さで俺より詳しいの!?」みたいな人もいますけどね(笑)。

――プロジェクトを引き継いでくれる人材の育成も課題のひとつでしょうか。

指田育成ができるのかなあ(笑)。昔のゲームはすばらしい作品ばかりなのですが、いまの時代に照らしあわせると、とっつきの悪いところもあるので、若い人が楽しんでくれるか、少し不安なところはありますね。

原画には力がある!

――今回取材用に原画をお持ちいただいたのですが、お気に入りの原画をいくつかピックアップして解説をしていただいてもよろしいでしょうか? しかし生で見ると本当に綺麗ですね。

指田そうなんですよ。みんな、見ると「すごい!」と言うんです。僕がいちばん好きなのは、この『モトス』のキービジュアルです。後ろからバーって光が来ていて、グリッドラインがガーっと引かれていて、すごく80年代っぽいんですよ。とくにお気に入りなのが、ロゴがそのままキービジュアルになっているところで、こういうのがすごく好きなんです。

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『モトス』(1985年)のキービジュアル。未来の宇宙を舞台に、エネルギー危機をテーマにしたアーケード向けのアクションゲーム。

――ロゴの力、みたいなものがありますね。

指田僕自身、ロゴデザインをけっこうやっているので、『モトス』のロゴはけっこう好きだし、それ自体をこういうふうに演出してポスターにするのは格好いいなと思って、すごく気に入っています。

鈴木しかも、この大きさの迫力というのもすごいですよね。

指田やはり、アーケードのキービジュアルは、サイズが大きいんですよね。店頭用ポスターにするので、もともと大きく作ってあるんです。これはリアル系のキービジュアルをよく手掛けてくださる、横岡匠さんという外部のイラストレーターの方の作品ですね。あとは、『超絶倫人ベラボーマン』の原画も格好よくて好きです。

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『超絶倫人ベラボーマン』(1988年)。ベラボーマンが、悪のロボット軍団と戦う特撮ヒーロー風の横スクロールアクション。イラストを手掛けるのは雨宮慶太氏。

――こちらはどなたの作品になるのでしょうか?

指田これは雨宮慶太さんのイラストですね。『超絶倫人ベラボーマン』自体はご町内を舞台にしたバカバカしいものなのですが、それをこんなに格好よく描くことに当時はビックリしました(笑)。この原画とは別にロゴの原画があって、合成したものをナムコの直営店でポスターとして貼っていました。当時は直営店でポスターやグッズを販売していたんですよね。

鈴木B1のポスターが5~600円で安かったんですよね。

――それはファンにとってはかなりありがたい状況ですね。

指田あとは、『ワンダーモモ』の原画もいいですね。これはセル画仕様なんですよ。

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『ワンダーモモ』(1987年)。正義の変身ヒロインであるワンダーモモが、悪の怪人軍団ワルデモンと戦うという舞台劇『ワンダーモモ』を上映中という設定の横スクロールアクション。

鈴木セル画は背景と癒着するから、扱いが怖いんですよね。

指田家庭用ゲーム機の原画はセル画が多いんです、なぜか。いまはゲームとアニメが何となく同じカテゴリで語られますが、昔はそこがいっしょになっていなかったんですよね。ですので、家庭用ゲーム機でセル画を使っていたのは、アニメっぽい感じを狙っていたのかもしれません。

――言われてみると、タッチがアニメっぽい感じはしますね。

指田この原画も、いまは綺麗に袋に入れて整理していますけど、以前はふつうにトレーシングペーパーがセロテープで留めてあって、そこに指定が書かれていたんですよ。そういうのも貴重な資料ですね。

――なるほど。『源平討魔伝』の景清のイラストもありますね。

鈴木これは寺田克也さんのイラストですね。僕の時代に中二病という言葉はなかったのですが、まさに当時中二病真っ盛りな時期に、この『源平討魔伝』のシリーズイラストを全部模写して、家に飾っていました。初めて原画を見たときに、「あれ? 俺が描いたやつかな?」とか思ったりしました(笑)。

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『源平討魔伝』(1986年)。鎌倉時代の源平合戦を描いた浄瑠璃『出世景清』をモチーフにしたアクション。描くは寺田克也氏。

――当時はどういうところに心を惹かれたのですか?

鈴木やはり格好よかったですよね。こんな世界観を持ってくるんだと。衝撃が大きかったです。

指田『源平討魔伝』って、急に出てきたんですよ。それまで、この世界観にいたる文脈がなかったなかで、いきなり出てきたので、オリジンとしての魅力はすごいですよね。『源平討魔伝』は、業務外で有志が集まって制作したゲームを社内発表したところ、社長が気に入って正式プロジェクトになったという、ゲリラみたいな制作過程が言い伝えられています。

――原画にサインが書かれていると、また貴重な感じがしますね。

指田絵にサインを入れてくれる方は本当に助かるんですよ。誰か描いたかすぐにわかるので(笑)。

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『リブルラブル』(1983年)。リブルとラブルを操作して、ホブリンからキノコたちを守るアクションパズルゲーム。こちらもセル画で制作されていて、持ってみるとずっしりと重量感がある。
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『ワルキューレの伝説』(1989年)。女神ワルキューレと仲間のサンドラが、悪の化身であるカムーズを倒すアクションRPG。ファミコンソフト『ワルキューレの冒険 時の鍵伝説』の続編として、アーケード向けにリリースされた。こちらはフライヤーのビジュアル。

――ところで、キービジュアルのサルベージやデータベース化に力を注がれているおふたりですが、原画に心を惹かれるのは子どものころに受けた衝撃が大きかったのか、それとも原画を保存していくなかでその価値を再発見されたからでしょうか?

指田懐古的な意味合いもありますし、もともとのきっかけはそうですね。僕はキービジュアルを作ることも多くて、けっこう理詰めでキービジュアルを作るのですが、当時のものを見ると「それはないよな」とか意外な発見があったりしたんです。そういう意味で、アートディレクターとして昔のキービジュアルを見たときに、ただの懐かしさだけでなくて、作る側の立場で見るおもしろさに気づいた、という感じですね。

――そういった意味でも価値を付与できると。

指田キービジュアルをどう作るのか、そもそもキービジュアルでやらないといけないことは何なのか、みたいなことは、弊社であれば新人研修や仕事の中で教えていくことなのですが、そういうことを一般の人にも伝えることができれば、また違った見かたができておもしろいのではないかと思います。

鈴木昔のキービジュアルは見ているとおもしろいですよね。さっきも話に出た『ギャラクシアン』のキービジュアルには、トンボ型のマシンにパイロットが乗っているのですが、「これって、敵だよね?」という(笑)。『ギャラクシアン』レベルになると歴史的にもこれはこれで価値があるのですが、いまの自分たちの仕事としては、ゲームへの導入でユーザーを混乱させてはいけないので、そういう意味では偉大なる反面教師ですね。

――確かに、いまこのレベルでゲーム本編と違ったキービジュアルを出すと、少し問題になりそうですね。

指田その文脈で言うと、『ボスコニアン』あたりはものすごく完成度が高いんですよ。実際にゲームで登場する敵要塞が高精細に描かれていて、かつゲーム内では表現できない自機のコックピットも表現されているんです。このポスターがゲームセンターにあったら、「自分がパイロットになって、玉の付いた要塞をやっつけるゲームなんだ、おもしろそう」というのがすぐに伝わるので、商品のキービジュアルとしての役割もしっかりと果たしている。そのうえで、絵の作画力も本当に高いので、本当に傑作だと思います。

鈴木この絵にもちょっとした逸話がありまして……。品川の社屋では社員食堂に飾られていたんですよ。

――また意外なところですね。

指田当時でも世界的なアーティストだった長岡秀星さんに依頼するという、かなり思い切った発注でしたからね。当時の中村雅哉社長がこの絵を非常に気に入っていて、蒲田の時代はずっと社長室に飾られていたんです。その後品川に移ったときに、「あの絵はどうなったんだろうね」と話していたら、社員食堂に飾られていて、ぼくらビックリしまして(笑)。

鈴木いわば“秘宝”だったんです。この絵も、品川から引っ越すときに、どうしようかみたいなことになっていたので、こちらで引き取る流れになりました。

指田これは僕が、前の額を分解して世界堂で額装してもらったのですが、担当者の方が昔のゲームをよく知っている方で、「長岡さんの絵じゃないですか!」と驚いていましたね。

――資産価値もかなりのものになっていそうですね。

指田実際、「これって高いの?」みたいなことはよく聞かれますね。お金はいちばんわかりやすい価値観ですからね。でも、いま管理している原画はとくにそういう試算はしていません。

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おふたりのあいだにあるのが『ボスコニアン』(1981年)。長岡秀星氏のイラストで、完成度の高さは指田氏の折り紙付き。

――では最後に、改めてキービジュアルの持つ意義を教えてください。

指田昔のものだからといって切り捨てるのではなくて、いま新しいものを作るためにも、昔のものをきちんと見るという意味でも、キービジュアルから得られるものはとても多くて、それはキービジュアルが持つ大きな存在意義のひとつだと思っています。これからもその価値をアピールしていきたいです。

 ちなみに、バンダイナムコスタジオはナムコ時代から数えると78年からゲームを作り続けてきていて、以降ゲーム開発の歴史を全部見てきています。その40年の歴史でずっとキービジュアルを作り続けてきているんですよ。そういったキービジュアルのノウハウを知り尽くしているのが、バンダイナムコスタジオだと言えるかもしれません。

――だからこそ、指田さんと鈴木さんがキービジュアルの保存に務めることの意義はさらに大きいと言えそうですね。

指田これはバンダイナムコスタジオのアピールになってしまいますが、キービジュアルに興味があって、ゲームを作りたいという方はぜひ“スタジオ”を訪ねてほしいです。ちなみに、バンダイナムコグループにはいろいろな会社があるのですが、バンダイナムコスタジオは、ナムコの開発が母体となっている開発会社であり、最前線です。“ゲームを作りたい”というクリエイター志望の人は是非バンダイナムコスタジオの採用サイトを一度ご覧ください。

鈴木指田が言った通り、昔のものからいまに活かせるものを探すというのはもちろんですが、僕ら世代にとっては、単純に当時の本物が見られるというだけで価値があります。僕が学生時代に憧れて模写した『源平討魔伝』のイラスト原画を見た瞬間の気持ちは、本当にもう「存在してくれてありがとう」という感じでした。

 本物が持つ迫力というものは大事なので、今後のためにも、しっかりとキービジュアルを保存していきたいです。


 最初のコンピューターゲームとも言われる『スペースウォー!』(1962年)から60年近く。半世紀以上にも及ばんとするコンピュータゲームには受け継がれるべき“歴史”ができてきている。先達たちの仕事を後世に残していきたいという、指田氏と鈴木氏の今後の取り組みにも注目したい。 

 なお、『ギャラクシアン』や『ギャプラス』など、今回紹介した往年の名作のファミコン版は、ただいま発売中のNintendo Switch用ソフト『ナムコットコレクション』 でプレイ可能とのこと。80年代当時ゲームセンターで配布していたペーパーマガジン『NG』の最新版『NC』も収録しているというこだわりようなので、気になる方はお手に取ってみてはいかがでしょうか。

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