シリーズ最終章は、若き才能が処女作を仕上げる前の話。

 個人開発者、小規模スタジオ、マルチアーティスト、さまざまな立場でインディーゲームに関わる人そのものを取材してきたインタビューシリーズ“インディーの肖像”。第5回目となる今回は、海外インディーパブリッシャー最大手Devolver Digitalと契約しiOS/PC版が配信中のアクションゲーム『Downwell』を開発したもっぴん氏へのインタビューをお届けする。
 なお都内のもっぴん氏の自宅にお邪魔して収録したのは昨年の12月のこと。まだパブリッシャーと契約したばかりで本格的に開発している最中の1ページの記録として読んで頂ければ幸いだ。

ベッドルームから世界へ――インディーゲーム開発者もっぴんと処女作『Downwell』の挑戦【インディーの肖像 Vol.5】_01

音楽科経由、インディー開発者への道

――いきなりなんですけど、そもそも“もっぴん”っていう名前の由来は?
もっぴん 麓(ふもと)という苗字なんで、大学で「ふもぴ」って呼ばれてるんですよ。それを親友のひとりがいきなり「もっぴん」って呼びだして。それ自体は一時的なもので終わったんですけど、開発者としてTwitterのアカウントを取ろうとした時に「アレでいいや」と。

――あぁ、元は一週間で忘れ去られるニューあだ名的なものだったんですね(笑)。
もっぴん そうですね。適当に決めて使っていたらそのままフォロワーとか増えちゃったので、もうこれで行くしかないと。

――ちなみに英語表記する時のpの数っていくつが正しいんですか?(日本語用アカウント@moppppinと英語用アカウント@moppin_とでpの数が異なる)
もっぴん 2個でいいです(笑)。日本語用アカウントのpが4つなのは、アカウントを作る時にもう取られてたから4個にしたってだけですね。

――今(2014年12月時点)は大学生ということなんですが、ゲームとかコンピューター系の専攻でもないという。
もっぴん そうですね。オペラとか、いわゆる声楽を勉強していたんですけど、それよりもゲームを作ってみたくなったんです。昔からゲームが大好きで……この話、長くなりますけどいいですか?

――ぜひお願いします。ゲームそのものよりも作ってる本人のことを聞いていく企画なので。
もっぴん まず10歳から15歳までニュージーランドに住んでたんです。その13歳くらいの頃から「ゲーム音楽を作りたい」と思い始めて、それで日本にいる親父に電話で「音楽作りたい。作曲家になりたい」って相談をしたんですね。そうしたらたまたま日本の実家の近くに音楽科がある高校があったので「作曲したいんだったら日本に帰ってきてそこに行けばいいじゃないか」と言われて帰ってきたんです。でもひとつ大きな問題があって、それは入試で何かしらの楽器を弾かなくてはいけなかったんですよ。

――まぁ吹奏楽部の部活とかじゃなくて音楽科の入試ですからね。
もっぴん でもそれまで何をしていたというわけでもなくて、ピアノとかを弾けるわけじゃなかったんです。それで体験入学の時に担当の先生に「何も演奏できないですけど、絶対に入りたいんです」という話をしたら、「歌を始めてみたら?」というアドバイスが来て(笑)。それが入試前の10月ぐらい。そこから始めて猛練習したら受かって。そうしている内に、歌を教えてくれていた先生にも熱が入って「結構いい喉をしている」という話になってきて、それで漠然と歌を続けていたらコンクールとかも行けて。

――それが大学での進路に繋がってくるわけですね。
もっぴん そう、それで卒業後の進路も「お前なら東京芸大も行ける」となって。……今思うと、調子に乗っちゃったのかもしれないですね。将来的にそれがやりたいのかどうかあまり考えずに、「天職なのかもしれない。入れたらスゴいから入ろう」って入試受けたら入っちゃって。でも、ふと「自分は本当にオペラ歌手になりたいのか? それとも音楽の先生とかに?」って思った時に、まったくなりたくない自分に気付いて。

――音楽系に進むための方法だったのが、それ自体が目的になって違ってきちゃってたんですね。
もっぴん そうなんですよ。人生は一度しかないのに、何にでもなれるとしたら何になりたいか考えた時に、仮に世界一のオペラ歌手になれたとしても、それはなりたいものではなくて、ゲーム開発者になりたかったんです。それでトップになりたいとかではなくて、とにかくゲームを作れる人になりたかった。それで今年、4年生になる年の3月から猛勉強し始めて今に至る……みたいな感じですね。

――それでGame Maker(YoYo Gamesが開発・販売するゲーム開発ツール)を買って?
もっぴん 実際にGame Makerを買ったのはもうちょっと前の、3年生の10月くらいです。ちょっとゲーム作りたくなった時期があって、その時に丁度セールをしていたんですよ。それで「いつか使うかもしれないから買っておこう」と買うだけ買ってあって。それでずっと放置してたんですけど、「もう来年卒業じゃん」となって触り始めたんです。いま大学生活のどの時期よりも勉強してます、ゲーム作りで。

ベッドルームから世界へ――インディーゲーム開発者もっぴんと処女作『Downwell』の挑戦【インディーの肖像 Vol.5】_04
▲2Dゲーム制作に向いたゲーム開発ツール“Game Maker”。フリー版もあるが、本格的な機能が揃うのは約150ドルのプロ版から。数カ月おきにセールするので安くなった時に買っておくのが吉。記者も持ってる。

――音楽系の専攻がどういうものかよくわかっていないので馬鹿な質問かもしれませんが、転科とかして本来やりたかったゲーム音楽で関わるという形は考えなかったんですか?
もっぴん それはもう声楽に絞って進んでいる間に無理になっていて……というのは、大学で専攻するレベルの作曲となると、例えば和声とかの理論を熟知していないとそういう科には入れないんですよ。だから大学でゲームに直結させる方向に専攻を取るというのは考えていなくて。

――となると、本当にやりたいことを考え直した時に、音楽系に進むことになった発端ともまた違ってたわけですね。
もっぴん いま考えると、その最初の所が間違ってたんです。本心は多分「ゲームを作りたい」という事だったと思うんですよ。でも数学とかもめちゃくちゃ嫌いだったし、プログラミングなんかきっと世界一頭のいい人々しかできないことで、自分には無理だと思っていて。でもゲームに何とかして携わりたい、そういえばゲーム音楽も好きだし……って(ゲーム音楽をやってみたいという考えが)出てきたんじゃないかと。

――プログラムよりはなんとかなるんじゃないか、みたいな。
もっぴん そう。そういう、すごく甘い考えだったんです(苦笑)。