『エースコンバット7 スカイズ・アンノウン』によって考えさせられたストーリーテリングのあり方

プレイヤーと主人公の主従関係

※購入先へのリンクにはアフィリエイトタグが含まれており、そちらの購入先での販売や会員の成約などからの収益化を行う場合はあります。 詳しくはプライバシーポリシーを確認してください">詳しくはプライバシーポリシーを確認してください

どのようなゲームが優れているか、ということについて考えることがある。映画のようにグラフィックが美しいゲーム、小説のように物語や設定が濃厚なゲームなど様々な観点はあるが、私が本当に良いと思うゲームは操作キャラとプレイヤーの主従関係をうまく扱えているものだ。少なくとも2019年のゲームにおいて、『エースコンバット7 スカイズ・アンノウン』(以下、ACE7)よりもこの扱いに長けた作品は生まれないだろう。

そもそもビデオゲームというメディアがこれまで映画や小説とは異なった媒体として存在できた理由の一つには、この操作キャラとプレイヤーの主従関係がある。つまりほとんどのゲームでは操作キャラが主体となり、キャラクターを操作することでプレイヤーは感情移入ができるように創られているし、知識や感性についても操作キャラはプレイヤーが理解できる範囲のみでしかそれらを表現することはできなかった。『ときめきメモリアル』に代表される多くの恋愛シミュレーションゲームではプレイヤーの好みに沿って恋人を攻略することになるし、「メタルギアソリッド」シリーズではスネークはプレイヤーとともに成長を続けて来たはずだ。

プレイヤーのもつ情報や感情が、ときに操作キャラのそれらを超えるケースはありうる。例えば『NieR:Automata』では短いスパンによって操作キャラが切り替わることになるが、ここでは互いのキャラにもう片方のキャラが得た情報は共有されていない。一方で二者を操作しているプレイヤー自身は、本来同時に知り得ない2つの情報や感情を手に入れることになり、その情報量のズレ自体がのちの展開の伏線にもなっている。『Detroit: Become Human』など、キャラクターや時間軸が切り替わるアドベンチャーゲームにもこのパターンは多い。

『Undertale』、『ダンガンロンパV3』など、一部のシーンに限っては操作キャラがプレイヤーを超える仕組みがあるものは存在する。
『Undertale』、上記画像の『ダンガンロンパV3』(2017)など、一部のシーンに限っては操作キャラがプレイヤーを超える仕組みがあるものは存在する。

操作キャラクターがプレイヤーを超えることは基本的にありえない。従来の「エースコンバット」も、この原則には漏れなかった。『エースコンバット04 シャッタードスカイ』においてはエースパイロットであるメビウス1を演じ、一方で黄色中隊というもう一つの側面を知ることができた。『エースコンバット5 ジ・アンサング・ウォー』ではかけがえのない仲間とともに戦争を攻略し、プレイヤーの意思で僚機に作戦指示を行うことはもちろん、仲間の雑談にだって返事をしてみせた。間違いなくあのとき、私たちは正真正銘のエースパイロットだったはずだ。

そのなかで、『エースコンバット7 スカイズ・アンノウン』は果たしてどういった作品だったかを考えたい。結論からいって、本作はほかのどのゲームにも属さないメタフィクションを創り上げた。極端なまでにプレイヤーが感情移入できる仕組みを廃し、操作キャラであるトリガーを誰にも理解することができない孤高の存在として描くことにこだわったからだ。

究極の無人機、トリガー

恐らくこのズレを初めて感じることになるのは、トリガーが懲罰部隊に入るきっかけとなるあの事件だろう。騒動が引き金となって懲罰部隊に放り込まれてしまうことになるトリガーだが、劇中で彼は事件について何の自己弁護もしようとしない。プレイヤーの意思とは無関係にその処遇を漫然と受け入れるその姿を見て、ストーリーに対するモチベーションは徐々に主観から客観に移り変わっていったはずだ。

物語が進むにつれて、さらにプレイヤーとトリガーの視線の差は明確になる。僚機に命令はおろか、話しかけられても相槌一つ返すことはできないし、物語に巻き込まれるのみで何か自分でアクションをしようとはしない。本作は過去作と比べても物語の解像度が高いからこそ、はっきり言えばただの感じ悪いやつとしか思えず、トリガーにはついていけなくなる。プレイヤーの視点は空にいるトリガーよりもむしろ、地上で語るエイブリルの方に親しくなってゆく。

『エースコンバット5』では、会話に対して簡単な返答をすることができた。
『エースコンバット5』では、会話に対して簡単な返答をすることができた。

この構造は明らかに意図的なものだ。そしてそれを裏付ける要素のひとつが、元撃墜王としてトリガーに立ちふさがるミハイだろう。地上で起こる争いには興味を示さない、空虚な人物として描かれる彼が君臨するのは大空の王国。そして、そんな彼を堕とすことによってトリガーは本当の意味でのエース、あるいは天上の王の座を譲り受けることになる。だからこそ、その座を継ぐ資格がある彼は空を飛ぶ以外のことに興味は持ち得ないのだ。

しかし、プレイヤーはその極地にたどり着くことは叶わない。私達はACE7という作品に、物語に興味を持ってしまっているからだ。空の世界の魅力を、プレイヤーは決して理解することはできない。私たちはACE7において、エースにはなることは望めない。そう、最後までダークブルーの空の入り口に至ることしかできなかったエイブリルと同様に。

文字通りトリガーは空(からっぽ)の王。本作は有人機VS無人機がテーマだが、私たちですらトリガーに乗ることはできていない。いわば最強の有人機の象徴であるトリガーは、究極の無人機でもあるわけだ。

 

これはあくまで憶測だが、片渕須直は初めからこれを意図していたのではないだろうか。だからこそ、彼の語るエースコンバットはいつも空からではなく、地に足のついた人間からパイロットの存在を見上げる切り口だったと考えると合点が行く。私たちはこれまでエースパイロットになった気でいたが、それはあくまでなった気に過ぎなかったのだとしたら。本作は私たちが真にエースを理解するために、あの戦争孤児の少年やアルベール・ジュネットと同様に、エースを見届け、そして語り直すための物語といえる。とはいえ、あなたはエースではないという事実を悲観することはない。

エース不在の地上の王国

本作の登場人物は、いずれも天上から下界へと堕天することとなる。トリガーは先に述べたある事件をきっかけに懲罰部隊へと堕ちることになるし、撃墜王ミハイも最終的には王の座をトリガーに明け渡すことになる。本作の物語はエイブリルが文字通り空から堕とされることをきっかけに始まるし、ローザの運命も転落する。もっとも、エースになれないプレイヤーこそ梯子を外されたと言っていいだろう。

これらの出来事は表面的に解釈すれば、確かに起きるべきでないことだと解釈ができる。ただし本当に、良くない事実だと一辺倒に考えてよいのだろうか。実際、トリガーは懲罰部隊に堕ちたことをきっかけに空の王の座を手に入れることとなるし、ミハイやローザが堕ちたからこそ、世界は協調路線へと向かった。さらに言えば、エンディングで登場するとある人物は、天上から下界へと降りることそのものが希望となっていた。

 

劇中でキーワードとなる「ハーリングの鏡」。ある事象の善し悪しは、それを観測する人の解釈によってどちらにもとれ、その解釈は各人の性格やものの考えを反映する鏡となるという意味の言葉だが、まさしく本作のキャラクターの生き様にはその言葉がピタリと当てはまる。だとすれば、プレイヤーがエースパイロットという存在を見つめ直すことにも、私たちは希望を見いだすことができるはずだ。

さらに核心に迫ると、空に憧れることそのものは正しいのだろうか。私たちにとって羽を広げて飛び立つことは難しいが、むしろ善性次第で地上を空の王国よりも素敵な世界にすることができるのではないだろうかと考えを巡らせてしまう。本作は、夢(空)から醒めて現実(地上)を語りなおす、前向きな諦めの物語であるとしか思えない。

しかし救いもある。VRでなら私たちはメビウス1となって、真のエースと空の王国を実感できているはずだ!
しかし救いもある。VRでなら私たちはメビウス1となって、真のエースと空の王国を実感できているはずだ!

これまでのゲームは、操作キャラが抱える感情とプレイヤーが抱える感情が共通する部分、あるいはプレイヤーのみが持つ部分を揺さぶりかけることで、物語に共感させ、エモーショナルなパフォーマンスを行ってきた。ところが、本作はプレイヤーと主人公が重なっていないところ、操作キャラのみが持つ感性を描くことでプレイヤーに疎外感を生じさせて、感情を揺さぶってくるつくりだ。

無論、このような語り方は従来のAAAゲームではほとんどされてこなかった。するべきではない語り方なのかもしれないし、そういった反響があることも理解できる。しかし話ははじめに戻るが、映画や小説といった媒体であれば主人公が観客や読み手の意思に反し、理解できない行動をとることは珍しくない。

一方で、ビデオゲームがビデオゲームたる所以はプレイヤーがキャラクターを乗っ取り、操作するという関係性が存在することだったはずだ。その前提があるからこそ、トリガーというエースパイロットが手元から離れて飛び立ってしまったときに、私たちは名状し難い、世界から一歩距離を置かれてしまったような虚無感を感じることができる。まさしく、この感動はゲームでしか成立しえないものといえるだろう。これを評価せずして、何を評価するべきというのだろうか。

逆境に屈せず、最後までトリガー(物語)に振り落とされんとするカウントの姿もまた、プレイヤーの想いの拠り所となる。

※購入先へのリンクにはアフィリエイトタグが含まれており、そちらの購入先での販売や会員の成約などからの収益化を行う場合はあります。 詳しくはプライバシーポリシーを確認してください">詳しくはプライバシーポリシーを確認してください
In This Article
  • Platform / Topic
  • PS4
  • PC
  • XboxOne
  • XboxOne
  • PS4
  • PC
More Like This
コメント