『Hellsinker.』Steamリリース記念!謎に満ちた作者 Tonnor氏、独占インタビュー

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『Hellsinker.』Steamリリース記念!謎に満ちた作者 Tonnor氏、独占インタビュー
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今年1月に10年越しにダウンロード販売が開始され、Steam版のリリースも決定した『Hellsinker.』。2007年にリリースされた同人ゲームながらも、長きに渡り多くのファンを作り、国内外のシューティングゲームに大きな影響を与えた作品だ。本作の魅力に迫った「『Hellsinker.』が伝説のシューティングである10の理由」という記事を以前、公開した。今回は作者のTonnor氏のインタビューをお届けしたい。

縦スクロールシューティング『らじおぞんで』で注目を浴びた存在

Tonnor氏(ひらにょん、とんのり丸など他の名義もある)は2000年頃から活動しているクリエイター。個人サークルとして「犬丼帝国」や「Ruminant's Whimper」といった名義で活動してきたが、ほとんどの作品は1人で制作している。『Hellsinker.』以前からインターネット上でフリーゲームの作者として知られており、特に鬼畜的難易度とフリーゲームとは思えない作り込みで有名な縦スクロールシューティング『らじおぞんで』で注目を浴びた存在であった。『Hellsinker.』は2007年夏コミックマーケットC72で発表された作品(東方Projectの格闘ゲームシリーズで有名な黄昏フロンティアでの委託販売)だが、その体験版はインターネット上で公開されており、フリーゲーム好きには既に話題になっていた。

『Hellsinker.』はその後、いくつかの同人ショップでの委託販売がなされ、筆者の私も今はなき秋葉原中央通りのメッセサンオーのデモ動画に惹かれて購入した。内容の難解さと入りにくさは随一だが、当時は既にインターネット上の情報があふれており、ステージをひとつずつ攻略することで展開していく演出や物語には驚嘆した覚えがある。いつしか自分はこの世界に取り憑かれ、最終的に同人誌に二次創作の小説を寄稿するほどになった。

同人ゲームとして販売されていたパッケージ版とオンリーイベントのカタログ及び、同人誌(一部)。

Tonnor氏の特徴的な文体をそのまま伝えるため、編集は最低限にとどめている

同人誌と言えば、本作を含めた犬丼帝国の作品にはある程度のファン層がついており、2009年と2010年にはオンリーイベント(特定のジャンルの同人誌即売会)が開催されている。筆者は2回目のイベントに一般参加したが、ここで知り合った人々はその後もファン同士として交流している。また10周年となる2017年にも久しぶりのイベントが開催された(海外出張の慌ただしさの中で行けなかったことは、私にとって一生の不覚だ)。

Tonnor氏のインタビューとしては、それらのイベントで頒布された同人誌に掲載されるものを別とすれば、ほとんど存在しない。これまでフィジカルで購入することしかできかなった同人ゲームなので、作品自体がマイナーであったため、仕方ないと言えば仕方ない。とはいえ、本作も含めTonnor氏のゲーム制作に対する考え方は非常に興味深く、ある意味でインディーゲームクリエイターのあるべき姿のように思える。今回は『Hellsinker.』のSteam版発売記念として、貴重なインタビューを掲載しよう。なおインタビューはメールベースで行い、Tonnor氏の特徴的な文体をそのまま伝えるため、編集は最低限にとどめている。

とんのり先生(Tonnor氏)のこと

――さて……そもそもなんとお呼びすればよろしいでしょうか。

呼び方は"Tonnor"でよいのではないでしょうか。

――ではTonnorさん。これまで何作品かの同人ゲームをリリースしていますが、基本的にホビイストの開発者(趣味の範疇の開発)で、なにか職や生計を他で立てながら、ゲーム開発を行っているのですか?

そうです。基本的には生業とは関係なく、趣味の活動です。時間を割ける時に突っ込んでいる感じです。ですので時期的に途絶える事もあります。(過去縁のあった開発会社から作業を請負する事はありますが)。

――そんな中で時間をかけて同人ゲームを開発することのモチベーションはなんでしょう?

実際に形に出力したいものがあるかどうか、でしょうか。転じてそれを出力できていない不満足感、という部分はあるかなと思います。

――今回のSteam版をリリースするまでは、主にコミックマーケットでの委託という形でした。さらにそれ以前はフリーゲームとしてネット上にアウトプットしていましたが、コミックマーケットや同人ショップで作品発表したきっかけは何ですか?

(2007年頃、当時)いわゆる同人のシーンはWEB上に置くフリーゲーム等のシーンと比較して、能動的に働きかける側面があり、そもそも層が重なってない範囲が相当あるという印象が深まっていったので、そちら側に出す事にも関心を持ったという感じですね。

『Hellsinker.』開発したころの話

『らじおぞんで』も未だにファンがいる名作フリーゲームだ。

――開発したきっかけはなんですか?やはり『らじおぞんで』の流れからSTGを開発することになったのでしょうか?

流れがあったというよりは、開発上の条件(技術的な環境やノウハウ)もそれ以前よりは向上した所だったので個別に新規タイトルを作りたい、といった感じでしたね。

――では当時のSTGや同人ゲームのシーンとの関わりはどうでしょうか?『らじおぞんで』をリリースした2002年からは商業ではケイブの弾幕STG、トレジャーの『斑鳩』(コンソール版)や『グラディウスV』(販売はコナミ)、さらに同人では東方プロジェクトのWin3部作など、にわかに盛り上がりを感じられた時代でした。さらに当時の同人ゲームでは『ひぐらしのなく頃に』が人気を博し、東方Projectが着々と人気を拡大していました。

自分の製作に限って言えばジャンルや当時性、あるいは特定のメディアに限ってという話ではなく、それまでに触れ、見た事のある様々なものに少しづつ影響されていると言うべきですね。物事に共通項や類似した文脈、相似した構造を持つ部分などを足がかりにあまり手を入れられない箇所を含めて再構築、肉付けしていったという感じです。

――できれば具体的に影響を受けた作品、ゲーム何でもあれば教えてくれませんか?

ジャンルや媒体を特に限定した話ではありませんのでこれといって挙げるのは簡単ではないですが、ゲームに限って言えば家庭用ゲーム(FC、PCE、SFCあたりの特にオリジナルタイトル)やPCゲーム(PC-98前後のものを含む)の下地が大きいと思いますね。

『Hellsinker.』のデザインコンセプト

「提示された課題に対処する」

――STGというジャンルのおもしろさは何でしょうか? ゲームデザイン、ストーリー、設定、キャラクター、音楽などそれぞれの観点で教えてください。

ゲームデザインについては、基本はやはり「提示された課題に対処する」というゲームの多くが持つ面白さが軸であって、特有の様式や文脈の支配性が強ければSTGと言える、という話だと思います。

ある程度、強制進行部分があり、(同じ入力をすれば)展開に再現性がある、という条件のゲームであれば(それを満たすタイトルは多いと思いますので)、座標移動やタイミング合わせを基本とした目的に応じた動きの突き詰め、個人の腕前や得意不得意に応じたパターン構築やペースメイキング、それが大きな要素だと思います。ランダムやアドリブ性があっても、それらを捌く文法が確立していて、決して有耶無耶やグダグダを呼ぶ要因でなければ、毛色は違っても大筋では同じ種類のゲームと言えると思います。

我々は実際にはジャンルではなく、常に実際に触れたもので面白さを体験している

その上で何がSTGらしからめるかと言うと、座標系やフィールドの形と範囲、進行方向の制限といった特有の条件からくる独特のアクション性(状況を捌く為に要求される位置関係などの案件が独特になる)やルールのやりとりの単位(ミスなど)がある程度整理されている因果の明確さといった特徴が、いかにもSTGらしいフィーリングを生むと思います。

それ以上の面白さは、ジャンルがどうかと言うより個々のタイトルのものでしょう。面白くなる点が多数作用して結果おもしろい物が出来上がっているというだけで、要するに「面白いタイトル個々がそれぞれ面白い」という話だと思います。抜き出したジャンルの要素単体で見てもそれは”面白くなる”未然の状態であって、一元的に語れる訳ではないと感じます。我々は実際にはジャンルではなく、常に実際に触れたもので面白さを体験しているので。

キャラクターに関しては別々の性質や価値観の提示、という機能が大きいです。「性能=強みと弱み=キャラクター」と言える事が完成度の高さでしょうね。これもSTG特有という訳ではありませんが、選択によるゲーム性(体験)の変化というのは”面白くなる”点だと思っています。

――キャラクターに関しては性能と同時に設定を作っている感じになりますか?

設定的な位置付け、立場なども性能の差異と同じく、大筋の進行が同じ方向でも(あるいは、同じ部分があるからこそ)その意味合い、感触を異にしますし、当然そういった意味合いはあります。

今回のSteam版のために新たに制作された自機キャラクターカット。左からDEADLIAR、MINOGAME、FOSSIL MAIDEN。

――上記のSTGのおもしろさの中で『Hellsinker.』のデザインとして重視したものは何でしょうか?

ストーリー、設定、キャラクター、音楽についてですが、これらのものをゲームデザインと別々に取り立てて独立して考える事はあまりありません。単体で見て秀でて見えても、出力したい”特定の状況”を中心に考えるとどの要素も一部分でしかないので。(逆に、不足に感じられず足りていればいいという考えです)。最終的に一体である(一つの”状況”を提示する)事を目指す場合、先に一体であるという前提で考える必要があると思います。

体験を重視し、それを提供する為の環境、条件を揃える

――つまり、前の質問の回答から推測すると、あくまでもゲームプレイの経験を重視する立場からゲームデザイン、ストーリー、音楽、キャラクターすべてを構築するという方針で良いでしょうか?

そうですね。体験を重視し、それを提供する為の環境、条件を揃えるというスタンスです。

ーーそのような制作方法は分業作業ではなかなか難しく感じます。そうなると、本作の開発をほぼ1人で行っていることと、この創作方針に関連は強いでしょうか?

全てを把握して管理する上で、認識、意識の共有で難かしい部分は出てくるかも知れないですね。基本設定の骨子がしっかりしていても、作りながら像の細部を固めていく過程がある以上、担当者各々の判断で肉付けの必要がある個所で、解釈のブレ幅と折衝は避けられないのでは。

ひとりで考えていても(開発)時期やシーン別に違いが出てくる事はあります(世界観やキャラクター自体にはっきりした主体が乗り始めた兆候を感じるときもあります)。(ひとりで開発することは)そこを擦り合わせ、纏める行程が半自動的に進行するという点で強みではあるかもしれませんね。

Steam版で追加されたチュートリアルでは「サプレッションレディアス」など本作の独特なシステムが紹介されている。

2Dアクションゲーム、格闘アクションの動作割り当てと近い発想

――『Hellsinker.』は非常に複雑な操作、武装や防御システムがありますが、どうしてこのような形になったのでしょうか。複雑なデザインへのこだわりがあるのですか?

”STGとしては”複雑かもしれませんが、そうでなければ特に複雑ではないと思います。古典的スタイルの2Dアクション程度の複雑さでしかないですし、操作感や手順もそちら寄りのものですね。強制進行の要素があるシーンでは忙しいかもしれません。

対照的に”操作が上手くなければ長引き、上手ければ早く終わる”シーンも意識的に多数盛り込んでいます。いずれの局面においても、操作や武装周りがこの様式になっているのは操作の熟達度、行動の理解と活用によって進行の速さや結果が明らかに違うという手ごたえのレンジ幅――つまりは成長体験の幅や余地――をより広く取るためです。

ボタンごとの行動の種類分けや条件制限、同ボタン内での操作の違いによって、行動が複数種ある点については、必然的に同じボタンを使う攻撃手段同士は排他関係(同時には使えない)、異種同士は併用可能、同時押し要素の攻撃もボタン同士で排他関係になっています。戦術(セットプレイ的なミクロ単位のパターン構築)の可能性を整理する上で、(これらのボタン操作を)グループ分けする意味もあります。仮にそれぞれ全ての行動が単一のボタンでいつでも使い分けできる仕様でしたら、全く違うゲームになりますし、締りのない散漫な作りになってしまうと思います。全体的に2Dアクションゲーム、格闘アクションの動作割り当てと近い発想なのでは?

「概要と手引き」から操作説明の一部。

――なるほど。同時押しが多い以上、ボタンアサインもいろいろと想定したと思いますが、当時、前提としたコントローラーはどのようなものであったでしょうか?

開発初期はセガサターンパッド(IF-SEGAというPCIスロット用インターフェイス)も使っていましたが、中期からはプレイステーション用/類似配置のパッドを事実上のスタンダードとしていましたね。リリース前後の状況では、パッド本体も変換装置の入手性が良く、受付レートの良い変換装置も複数の大手メーカーから出ていた、というのも理由です。

――スコアに関しても非常に多様な観点からスコアリングを行っています。どうしてこのような複数の指標を設けることになったのですか?

要求されるスキルや過程、方向性が違うもの(スコア)同士を纏めて一元的な評価をすること自体に無理があり(本質的に重み付けで解決できる事ではない)、相性が反しあっている要素なども分離して整理する事で無理なく並立し、個別の価値とするというのが第一の意義です。

それによって遊ぶ側も行動指針を明確に切り替え出来ますし、配置する側も各(スコア)要素の分布を明確に分ける事が出来ます。目的が被らなくなった要素同士は干渉や無理が発生しにくくなります。要するに要素の足の引っ張り合いや取捨選択に関する不毛な曖昧さを排除する為ですね。逆に言うと多数でも干渉しにくい要素同士は同じ項目に纏まっています。

Steam版では自機の周りに各種ゲージ、スコアの小計がポップアップするようになった。

――本作には一見して何が起こったかわからない演出があります。このような演出はアーケードゲームにはない表現として、意識的に取り入れたのでしょうか?

演出というよりは見たものが全てで、それは “少なくともその段階では解らない事が起きた”という体験です。伝える為のものではなく、ただ元から”そこにある、起きている”事象としての描写も多々あります。 

――ただこの点は本作の考察の足がかりとなるものが多いですよね。そういったプレイヤーの考察を惹起することはどれほど意図的であったのでしょうか。実際にかなりいろいろな考察がなされましたが、それは予想を上回るものであったのか、予想通りであったのか、教えてくれませんか?

大体のものは提示したその先に個々の様々な印象があるだろう、という事を意識して配置されています。想定(制作側が配置する為の基準とする骨子)とほぼ重なる同じような例はありましたが、そうでない物にしても各々が想像しうる様々な幅があった、という印象を受けています。

――またテキストや演出によるストーリーテリングは明らかに通常のSTGにはないものです。これは他のジャンルの影響などなのか、STGでこれまでできなかったものに挑戦したのでしょうか?

単に(ジャンルのメインシーンの性質上?)あまりなされてこなかっただけでは?と思う所があります。PC/シングルプレイヤーという形態であればとりうる方式の一つ、としか意識はありません。逆に言うと、禁則に特に明確な意味がなければ踏襲する意味は「それらしいから」、「らしさ」の継承でしかないのではないでしょうか。

「星を見た、等と言えば笑われるだろう。」本作のステージ間にでるテキストパートの中でもとりわけ有名なセリフ。今回のSteam版では英語と中国語にローカライズされた。本作のストーリーと演出における重要ない要素だ。

――では本作において、STGが与えられるストーリーテリングとして意識されたことはありますか?

(分岐はあっても)線形、段階的な進行構造があるという点とそれを阻むものに(繰り返し何度でも)挑むという構造に沿った話の形、というのはあると思いますし、そのようにしたと思います。

”何世代も費やした事業のケリがつく部分だけを描いた作品”

――なるほど。そういった物語構造(いわゆるループもの)はノベルゲームなどにはよくありますが、STGでは珍しいように思います。やはりプレイヤーが複数回プレイすることを前提にした設定やストーリーを意図した結果でしょうか?

「歴史上、奪われた土地の奪還」といったモチーフ的には普遍的な事象なので、(STGと)似通った性質を持ったスタイルのゲームであるという時点で抵抗はありませんでしたね。

”何世代も費やした事業のケリがつく部分だけを描いた作品”となると、もう本当にどこにでもありますので。ただ、そういった作品内の中でも、”壮大な繰り返しの縮小版”(稀代の強敵や試練など)を何度か織り込んで、ポッと出の話ではなく”これはやはり大変な話の末梢なのだ”という重みは出していますよね。

構造によって話が保証された以上、(具体的な)話によって構造の文脈は修飾されます。(物語と構造という)相互に補強される関係のものは一体のものに近づく、と思いますし、そう考えてのことです。

――よくラスボスと称される「概要と手引き」ですが、あの独特な表現になった理由ななぜなのでしょうか? マニュアルに求められる操作やルールの説明と世界観の設定が共存している点はかなり異色です。

ひとつには”状況”を提示するという目的の上ではそれも一体であって、別々として扱うべきものでないという観点があります。ですが、外部文書にまでその範囲を適用した理由は以下のものです。

当時の時点で既に添付文書を最初に読むという慣習は薄れつつありましたが、昔のPCゲームなどでは結構厚めの冊子で添付文書が着いている事がよくあり、そういう文書は世界への導入であり物事の境目、岸の向こう側とこちら側が曖昧な所謂トワイライトゾーンめいた性質がありました。

序文の後にシステム要件や起動方法など最低限の通知、説明文が記載されており、あとの部分はもうゲームの一部といった様式です。数少ない明らかなオマージュ、踏襲で、元々の趣味性が出ている部分と言えます……

Steam版では英語と中国語にローカライズされたマニュアル「概要と手引き」が含まれている。こちらは本作における残機(ライフ)の説明。ゲームプレイには直接影響しないが、なぜ命を落としても復活するのかといったSTGのお約束に詳細な説明が加えられている。
誤解を生じるよりは認識し直す抵抗がある方が遥かによい

――しかしながら、STGでは当然となっている設定・仕様(残機制やボム、自機が飛行する)などを、作品世界の言葉によって説明しよう・位置づけようという姿勢は非常に興味深く思います。ああいった説明が必要と感じた理由はなんでしょうか?

類似している様に見えても同じ働きをするとは限らないし、実際にそうである部分があるからですね。「○○と同じものだ」としてしまって、すんなり飲み込める様に見えて誤解を生じるよりは認識し直す抵抗がある方が遥かによいと考えるからです。

たとえば作中で「ディスチャージ」と呼んでいる要素を「ボム」とすると自分が体験した他のゲームの「ボム」としての運用、制限、禁則を念頭に置きがちだからです。

――なるほど、それは確かにひとつのスタンスですね。話は変わりますが、本作の音楽も高く評価されています。STGにおける音楽の重要性と、本作の音楽において目指した世界観や演出を教えてください。

進行段階を通知する機能的な面にしろ、風情、情緒、物語性を押し出す面にしろ、背景と性質が近いですし、ゲーム内容との同期要素などを含めそれらを瞬間的に強力に結びつける媒介としての側面が大きいと思います。意味や印象といったものを滑らせずに纏める糊のような機能ですね。時間軸、ペースといった要素が重要となるジャンルでは(STGは強い一例ですね)、音楽はその点で独特の重要性がある要素だと思います。

本作では顧みられない場所や物事の寂寥感、栄華の残響といった背景ごとのテーマ、根を張った過去の因縁や情念、それらのひとたびの再現といった展開ごとのテーマに沿う事を目指して制作されました。前者は序盤や道中、後者は山場に多く見られる傾向ですね。

ファン待望のサウンドトラックはSteamのDLCとして販売!FLACとMP3が用意されている。

――いくつかモチーフとなる旋律がたびたび登場しますが、音楽制作はゲームのステージ制作とどのような関係で行われたのでしょうか。ステージを先につくり音楽をつけた、もしくは逆のパターンなどもあったのでしょうか?

手順、手法はおおまかに2種類ありますが、ステージが先の方が多いと思います。下地が出来てから曲の大筋を作り、合わせてからステージを調整という流れですね。逆の場合はステージの構造、段階とやる事が大体決まっている場合に、長さやセクション数に則って曲を作るパターンですが、これは少ない部類ですね。

――今回、初めてサウンドトラックをDLCとリリースすることになりましたが、これはなぜですか?

パブリッシャーからの強い要望があり(テストプレイヤーからも要望が出たと聞き、)Steam上での追加コンテンツとゲーム本体の関係性や現在では専用プレイヤーが存在する事などを考慮に入れ製作を検討しました。後に古い開発マシンから原音リソースを探し、発掘できましたので、ゲーム上で鳴らしている物をロスレス音源化する差分共々作成、リリースできる運びになりました。

今回のアップデートとSteamでのリリースについて

――今回、Boothでのリリースし、さらにSteamでリリースしたきっかけは?

Boothでのリリースは、物理メディア(CD-ROMプレス版)をもう作らないだろうな、と思いましたので、それに変わる入手手段の提供という感じですね。前年に第六版1000部のうち一部が出土して、それを置いた際に未だに需要がありましたので、ダウンロード版を用意した次第です。

Steam版については、ダウンロード版頒布少し後にパブリッシャーの方からお声がけを受けまして、複数の言語へのローカライズ可能というご提案で、現在の状況であれば対応できるかな、という事でお受けしたという次第です。 

――パッケージ版とダウンロード版の大まかな出荷台数を教えていただけないでしょうか?

主に同人ショップで入手できたCD-ROM版は6500弱です。今年の1月下旬くらいから始まったBoothのダウンロード版が420くらいですね。

――Boothでのリリース後、UIやその他にかなりアップデートが入りました。これらは開発していた頃に実装したかったものですか? もしそうではないと、なぜ今になってアップデートをしたのでしょうか? さらにアップデートの目標は何にあったのですか?

当時やりたくても開発環境や平均的なPCスペックから鑑みて、実装すると中途半端になるしかないので入れなかった要素が幾つかあります。ビデオメモリ容量の事もありますし、フィルレートの問題もあります。ピクセルシェーダーの対応状況など、出揃うまでかなり時間を要した要素もあります。PCゲーム界隈がDirectX9cを何年引っ張ったかを見ればその一端を感じられるかと(かくいう本作もDirectx9を使用したゲームで、六版が出るまではDirectx7でしたが)。

そしてもう一つは、フルスクリーン時の挙動やウインドウモードのサイズなど、古い作りで現行の環境とはかけ離れた、対応できない箇所が出てきたので、そこへの対応です(これはアップデートの目標の中核です)。

今回のアップデートと付け加わった「info augmentation」はゲージやスコア、的の名前など様々の要素を拡張表示可能なオプション。M2ガジェットにも似たこの思想だが、正直、尋常ではない。

”全てoffにした状態では完全にオリジナルと同一である”

残りは”オリジナルでは入れなかった要素”のオプションです。info augmentationの各種拡張表示などですね。そのまま、オリジナルではやらなかった要素を追加する事を目的としています。

これは”全てoffにした状態では完全にオリジナルと同一である”事がミソです。位置づけとしては便利機能や薬味としての役割です。

余談ですが、本作の中には「これは面白いのは確かだが、これを固守していては絶対実現できない」という要素を意図的に分立させています。それは操作キャラクターごとの違いであったり、スコアリングなどに見られる複数軸制であったり、本編に対する追加ステージの性質などに強く表れています。

これらのオプションもそれらと同じ、カウンター例(別の価値観が成立する可能性)提示の一環ですね。

次回作や今後の活動について

――次回作は開発中とおぼしきRPGですか?

おそらくそうなるかと思いますが、間に小さいものがいくつか挟まる可能性は大です。あれ自体、着手したのは『Hellsinker.』の正式版リリース前になりますので…

――現在、何%くらいの開発状況でしょうか?

40%程度ではないでしょうか?(システム周りが固まりデータの下地が揃った程度ですので)。

――RPGを作ろうとおもった理由はなんですか?

ゲーム体験の下地の一つとして慣れ親しんだジャンルで、やりたい事も割りと溜まっているものの一つなので…。趣味でプログラミングを始めて初期にやっていたのも、RPG的な古典的バトルシステムの模倣とかでしたので…(グラフィック機能が外字キャラクタ程度しか無い関数電卓でしたので)。

――以前のインタビューで「終わったジャンルというフレーズを聞く度湧き上がる『どこが?』という思いの数々」という発言が印象的でした。この観点でいうと、RPG(ダンジョンRPG?)を深く彫り込んで追求したような作品になるのでしょうか?

終わりの見えているジャンル自体がそこまで多くないと感じますが…(意図的にしろ似たような構造を持つ物が沢山世に出ているとそう見えがちなのでは?)RPG、ダンジョンRPGというよりは編成ややりくりといった運営部分に多少フォーカスが強い探索ゲーム、といった風情ではないかと……(無論その要素はRPGの範疇ですが、その側面が好きなので)。『Hellsinker.』は趣味性よりは箇所ごとのコンセプトに合わせる事ありき、といった感じでしたが、これはもう少し趣味性が優先されているのでは?と思います

――他の方の作品で期待されているものなどあれば、教えてください。

規模が広くなりすぎて絞るのは難しい時世です!(買ったものを遊ぶだけでも大変という時代、想像していなかった)最近だとさえばしさんの『常世の塔』がどんな感じか気になってますね~

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